アーリ『モビリティーズ』勉強会
2020年度第一回オンライン本読み会
第一回オンライン本読み会ではジョン・アーリの『モビリティーズ』を扱いました。
コロナ禍で「移動」が世界的な規模で制限され、様々な社会関係がオンライン化する現在、「移動」の意味や効果は大きく再編されつつあります。今後の都市、建築、コミュニティなどを考えるうえで「移動」は一つのキーワードになるだろうということで、社会学の「移動論的転回」を唱えた本書を第一回の課題図書に選びました。
この本は、「移動」の観点から社会諸関係を捉え直すことを目指してを2007年に書かれたものです。旧来の社会科学の世界では、社会諸関係を抽象的で非空間的・非物質的なものと捉える傾向がありました。その後1980年代前後に社会関係において空間的な配置や物理的なアフォーダンスが重要であるとする「空間論的転回」がおこります。また、人だけでなくモノも含めた関係性の網目の中で事象を捉えるANT(アクターネットワーク理論)も同時期に誕生してきました。
そうした、フィジカルなものを重視する流れの延長線上で、さらにそれを「動員/動態化(mobilize)」することを唱えたのが、アーリの理論です。
アーリの移動論の中で一つの中心となっているのは「システム」の存在です。鉄道の路線と駅と時刻表が存在して初めて、人は鉄道に乗ることができます。車で移動できるのも道路が舗装され、定められたルールが守られているからです。
あらゆる移動はそうした物理的/社会的なシステムに後ろ支えされています。このシステムは、技術と社会の変化に応じて変容していきます。システムの変化は新たな移動の体験をもたらし都市や空間を編みなおすのみでなく、そこに生きる人々の思考のパラダイムさえも変えてしまいます。
例えば、鉄道網の広がりと同時にクロック・タイムが一般化し、時間に律義であることが求められたという話が印象的でした。それまでは街ごとの教会の鐘が告げるものであった時間が、鉄道の時刻表のためにエリアを超えて統一され、一分一秒単位の正確さをもったクロックタイムに置き換えられていったのでした。
さらにシステムは、新たなリスクを生み、また新たな格差を生んでもいます。車や飛行機の事故といった直接的なリスクだけでなく、システムが不全に陥ったことよる経済的・社会的なリスクもここに含まれるし、より早くて安全で楽な移動にアクセスできるかどうかということも一つの大きな格差になります。
そして移動が高度に発達していくにつれ、それが依拠するシステムもより高度で複雑なものとなっていきます。今や移動は、GPS、ICカード、予約システム、検索・レコメンド機能(さらには自動運転、無人輸送…)など、種々のデジタル技術と絡み合っています。
そのなかで私たちはかつてない便利さを享受すると同時に、かつてないリスクと依存状態を受け入れることになります(アーリはこのことを「ファウスト的取引」と言っています)。アーリはあり得る未来のシナリオの一つとして「デジタルパノプティコン」を挙げています。これは私たちは最早、電子上に足跡を残すことなく移動することが難しく、あらゆる移動が「監視下」におかれているというものです。
やや極端な未来像のようにも見えますが、それが可能な環境条件は既に整いつつあります。例えば、今回のコロナのような状況下では、移動をめぐって厳しい統制と管理が敷かれている地域があります。何かのきっかけで積極的な監視を受け入れるような民意が形成されていけばそうした未来は十分にあり得るのでしょう。
「移動」は一所にしか存在できない私たちの「身体」とどんどん高度化する「システム」の狭間にあるものだ、ということを強く実感させてくれる本でした。それはシステムにより身体が拡張することであると同時に、ある種蝕まれていくことでもあります。「移動」を考えるとは単に地理的な配置のことだけではなく、「身体」と「システム」を巡る取引関係を考えることなのかもしれません。
ここでは400頁を超える本書の一側面を紹介しましたが、他にも面白い示唆に富んだ本でした。(より各論的な話題もたくさんあります。)コロナ禍で今後の移動を考えたい方は是非ご一読ください。
第二回の勉強会では、ここから次に近代以降の監視と統制の権力を考る為、M・フーコーの『監獄の誕生』を読むことになりました。